フィンチのお気持ち表明板

ブログと日記の狭間

ホーチミン旅行記 2日目

  • よく眠れなかったため、起床予定時刻より1時間程度寝過ごす。気を遣った妹が何も言わず寝かせてくれた。お陰でこの日も一日、寝不足で疲れることなく過ごせた。
  • ホテルから、歩いてすぐのタオダン公園へ。ここで多少の鳥見をする目論見であったが、結局暑すぎてやる気が出ない、カメラの性能の限界、そもそも鳥があまり見つからない、等の理由により断念。ただしこの公園自体はホーチミン市中心部では鳥見ホットスポットであり、この日の朝も互いに顔見知りらしい2人のバードウォッチャーが、ごついレンズのカメラを構えていた。
  • 野鳥観察のホットスポットで他のバーダーに出会うという現象は、日本それからヨーロッパでもよくあることなのだが、ベトナムでも同じと知り、個人的には少し感動。
  • タオダン公園を通り抜け、横断歩道を渡ってすぐのカフェTrung Nguyen Legendへ入る。チェーンらしく、同じ名前の店を街中で何度か見かけた。他にCong CapheやHighlander Coffeeも市内に点在するチェーンカフェ店であるが、これらを含めホーチミンはお洒落で洗練されたカフェで溢れており、ベトナムがカフェ大国との別称を持つのにも大きく頷ける。
  • ちなみに信号を待つ間、暑くて口呼吸になっているスズメを一羽観測。かわいかったのである。
  • 名物だと言うエッグコーヒーとバナナのクレープを注文。コーヒーはレモングラス茶と思しき液体と共に出されたが、これは濃厚なコーヒーの味を中和するのに丁度よく、納得の組み合わせ。クレープも非常に美味だった。
  • タオダン公園が思ったよりしょぼかったため、一時間寝過ごしたが、スケジュールが押すこともなく、次の目的地ベンタイン市場へ。目白押しの土産物屋は、意外にもカード支払いに対応している所が大半とみえた。ちなみに今回のホーチミン旅行は、九割方キャッシュレスだった。
  • 鳥の装飾を施した水牛角の櫛を購入。数年前に京都土産のつげ櫛を紛失して以来まともな櫛を所有しておらず、いつも百均かどこかで買ったプラスチックの安物を使っていたので、今回はとても良い買い物をした。
  • と、いう話をホテルに帰ったあと妹にしたら、なんと妹も自分が使っていた安物の櫛と全く同じものを今回の旅行に持ってきていた。姉妹である。
  • 市場を去り、ベトナムで一番高い建物であるランドマーク81へ。本当は展望フロアより数階下のカフェへ入る予定だったが、一時間待ちと言われたので、渋々展望フロアの入場券を購入。
  • その後、1区へ戻り、コロニアル建築をいくつか見て回ったあと、フランス料理店The Refineryで昼食に。ランチセット目当てだったが、あいにく週末で用意がないと言われたので、単品でスープと牛頬肉の煮込みを注文した。味は、合格点とは言え、特に目を見張るものでもなかった。
  • お腹を満たしたあとは、ベンタイン市場近くの骨董通りへ行き、何軒か店に入ってみた。一つ気になった小皿があったが、値段を聞いたところ40USDと謎の高値だったので断念。ちなみにベトナムから骨董品を国外に持ち出すのは法律で禁じられているらしい。まぁ、誰も気にしてないと思われる。
  • 土産物屋に心残りがあった妹と共に市場へ戻り、少しの時間を過ごしたあと、戦争証跡博物館へ。2階にベトナム現代史がまとまっているエリアがあり、そこを主に回った。以下のことについて展示と説明があった:
  • 第二次世界大戦の終わりにかけ、フランスに代わり日本の支配下に置かれたベトナムであったが、終戦と共に独立を宣言。しかし引き揚げた日本と入れ替わるように、領土の回復を目論むフランスがベトナムの地に再上陸していた。フランス軍アメリカによる多額の支援を受けたにも関わらず、1954年ディエンビエンフーの戦いベトナム人民軍に敗北し、結果として撤退を余儀なくされる。その後アメリカの傀儡である南ベトナムと、南ベトナムの解放を謳う北ベトナムとが、ベトナム戦争に突入し、泥沼化するが、1973年パリ協定に署名したアメリカはベトナムへの一切の介入を終止し、1975年北ベトナムサイゴンを陥落したことにより、長きにわたった戦争はついに幕を閉じた。
  • 博物館後は、カラベルホテルのCafe de l'Operaアフタヌーンティーの時間に。
  • 美味しいお菓子とお茶をたらふく堪能したあとは、一度ホテルに戻り休憩。その後、日本語で開催されるボードゲームイベントへの参加を予定していたが、観光バス乗車に旅程を変更。
  • バスの従業員からレインコートと例の円錐型の帽子(ノン)を渡され、装備。最初は小雨程度だったが、途中から本降りになる。
  • ホテルに戻り、就寝。