フィンチのお気持ち表明板

ブログと日記の狭間

4月11日

ドバイからワルシャワへ向かう飛行機の中にいる。エミレーツ航空EK177便は定刻よりやや遅れて出発。搭乗の遅れた乗客を待っていたようだった。暫くの待機の間、機内は少し、蒸し暑いくらいだった。ポーランド人と見られる大半の乗客の服装も、すっかり夏の様相。今は上空45,005フィート、時速558マイルで季節を逆戻り。夏のようなドバイから、初春のワルシャワへ飛んでいる最中だ。


10時間のドバイ乗り継ぎ中に市内観光をすると決めたのは、ほぼ思い付きのようなものだった。ほんの軽い気持ちで、同級生のイラク系ドバイ住民アブドラに街案内を依頼。二つ返事で快諾を得た時、もう後に引けなくなってしまったと気がついた。


コロナ禍が始まって以来、しみじみ感じるようになったことがある。今目の前、自分の手の中にある機会や可能性が、いつどんな事で失われてしまうか、全く分からないのだな、ということ。例えば、ポーランドで学生をしている間に、周辺諸国を観光するのだって、以前は、まだ卒業まで数年あるし、いつでも出来ることだと考えていた。でも、今このコロナ禍の状況下では、それも前ほど簡単なことではなくなってしまったわけ。これはほんの一例だけどね、でも、とりわけ最近は身に染みて思う。今手にしているチャンスは、今、後回しにせずに一つひとつ回収していく心掛けを持ちたいと。ドバイ半日観光は、ほんの思い付きだったけれど、それを実際に行動に移した背景には、最近の私のこんな気持ちがあった。


腹に抱えた一抹の不安とは裏腹に、ドバイ空港での入国はあっさり済んだ。わざわざ用意したPCRの陰性証明書も、そのへんに立ってたおばちゃんにピラっと一振りして見せれば良い程度の話だった。正直幾らでも偽装の陰性証明書で通過できると思う。


10時間は、短いようで短すぎることもなく、意外と色々な所を見て回れた。頬や腕をじりじりと焼く太陽の光と蒸した空気の、少しばかりの生理的不快さは、遠い異国、旅先の非日常にいるという実感をより際立たせた。ほんの半日前には日本にいて、今はドバイの水上タクシーに揺られダウンタウンの遠景を望んでいる。鳥の鳴き声に、潮の香り。頬を撫でる生暖かい風。呼吸をすると、生きてるって感じ。ハレとケの、ハレ。ずっと将来、今この時が過去になっても、記憶のヴェールの向こうに淡く幸福に輝いているだろう、そんな思い出を今作っているのだと思った。忘れることはないだろう。早朝、民族衣装を来て空港まで迎えに来てくれた友人。高層ビルの輪郭をぼんやり浮かび上がらせるオレンジ色の朝焼けと、白い砂浜の感触、足を浸した水の温度。冷房をガンガンに効かせた車内に軽快なBGMを流したドライブ。ブルジュ・ハリーファを見上げる広場のベンチでの会話。スークで売られていた鼻をつくスパイスの香りと、ラクダミルクのジェラートの味。

 

そしてほんのまた半日後には、ポーランドにいるのだ。正直、自分はなんて幸運で、そして甘やかされているんだとうと思った。日本の家族のことを考えて、気分の高揚が暗い影を落とすように、少しの後ろめたさを感じた。


わがまま娘を許してしまう、その両親の盲目の愛で、胸が痛む。今の私にできる、せめてもの埋め合わせと言えば、学業を疎かにしないことくらいなんだろう。あと1時間弱で、飛行機はワルシャワに到着する。そろそろ日記はお終いにして、微生物学のテスト勉強でもしようかな。

3月14日

タイトルは14日としたけど、この記事を書いているのは一夜明けて、15日の月曜。昨日は、3月の14日、ホワイトデーでした。先日大学から通達があり、4月頭にはまたワルシャワに戻らなくてはならないことが確定したおれ。そんな迫りくる出国の予定を目前に、この日曜は、またひとつ良い思い出づくりができた一日となりました。

同居人と二人で起きだしたのは、だいたい15時くらい。暗くなる前に外に出て、陽の光を浴びながら町を歩きたいという、自分のリクエストに応えてもらった形です。一人暮らしの時は、どんなに遅くても12時くらいには起きだす生活リズムに落ち着くのですが、ここ数か月間は、すっかり同居人の超夜型ぶりに引きずられて、日没後に布団から出ることも多々ある陰気くさい毎日を送っています。ホワイトデーの日くらい、ということで「早起き」して、ちゃっちゃか準備を済ませ、いざ、我々の向かう先は成田。

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西日が射しこむ京成線の電車内にて。早起きは三文の徳。気分も上々。

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車窓から見えた景色。「ガチ田舎」である。

途中、公津の杜駅で一度降り、同居人が大学ロッカーの私物を回収しに行く間、私は駅のホームでMOTHER 3をプレイしつつ10分程度待機。それから次に来た電車に乗り、程なくして成田の地に到着しました。

田舎カップルなので、デート先と言えばイオン一択。しかし、この成田のイオン、なかなか気合いが入っていて、たかがイオンされどイオン、決して侮れないのです。薬局に食料品・日用品と、基本的なものはもちろん、新宿のファッションビルでも見るような小洒落たブランド服屋から楽器店まであり。極めつけにカルディまで入っていたので、そこで瓶詰のオリーブとケーパー、それから青かびチーズを仕入れました。

ところで、成田のイオンで面白いことと言えば、やはり土地柄を反映してか、施設内の表示も多言語表記になっているのですが、その言語が、英語中国語韓国語の次に、タイ語なのです。タイ人が多い模様。成田空港から直通のバスも出ているようなので、在住者のみならず旅行者も訪れているのかもしれません。実際、千葉を訪れるタイ人は急増しているそうで、背景には成田空港へのLCC乗り入れに加え、千葉の持つ観光資源とタイ人の好みとのマッチがあると、ネットのそのへんの記事に書いてありました。

コレ⇩です。

www.sankei.com

ちなみに、千葉はやはりタイ人在住者の数もそこそこ多いらしく、ウィキペディア曰く東京に次ぐ第2位だそうです。成田にも、幾つかタイ・スポットが存在します:

美味しかったタイ料理屋さん。

tabelog.com

タイ寺院まで。

play-life.jp

イオン成田にも、やたらメニュー数の多い本格的そうなタイ料理屋がひとつ入っていましたが、今回のところはおあずけにした同居人と私。フードコート内のインド料理屋に行って、それぞれビリヤニ南インド風チキンカレー&チーズナンのセットを頼みました。それからお菓子屋さんで苺のショートケーキを購入し、帰宅。

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良い一日でした。

 

おまけ(カルディで買ったオリーブとケーパーが活躍してくれました)

 

3月7日

連日ブログを書いているものの、話題と言えばやはり食のことばかり。ほとんど家、ときどき半径5km以内の生活圏を散策する日々のなかでは、楽しみも限られてくるわけです。さて、前々回の記事ではポーランド料理ビゴス(ヨーロッパ)、前回はアフガン料理カブリプラオ(アジア)が登場したわけですが、今回は、ヨーロッパとアジアが出会う場所、かつてオスマン帝国として栄華を極めた魅惑の国、トルコの一品をご紹介します。

時は遡ること約1か月前。

ひょんなことから、トルコ食品を扱うネット通販サイトを発見したおれ。

元々スジュクがお目当てで巡り合ったこのサイトですが、当のスジュクはなかなかお値段が張るため、購入をしり込みしていました。そんなある日、同居人からマントゥ(トルコの餃子という触れ込み)が食べたいとのリクエストが入ります。ちょうどこのサイトに売っていたのと、手が届く値段だったのとで、1袋200g入り(1食分くらい)700円×2点を購入するに至りました。冷凍輸送なので送料がかさみ、埼玉から千葉へ1000円ほど。注文から配達までは4,5日くらいでした。

マントゥというのは、要するに小麦粉をこねた生地にひき肉を詰め茹でた料理のことで、ヨーグルトとバターソース、それから香辛料をたっぷりかけて食べるものらしいです。コンスタンティノープルを攻略したオスマン帝国の第7代スルタン、メフメト2世の好物でもあったとのこと。

軽く水切りしたヨーグルトにすりおろしにんにくを加え、それを湯がいたマントゥの上にのせ、さらにバターソース(フライパンに溶かしたバターにトマトペーストを混ぜたもの)を回しかけて、仕上げに香辛料(パプリカフレーク、スマック、オレガノ、胡椒)をパラパラと振りかければ、出来あがり。

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このレシピを参考にさせて頂きました。

cookpad.com

こちらが、今回活躍してくれた香辛料たちです。ワルシャワから持ってきていました。オレガノはそのへんのFlying Tiger(欧州人御用達プチプラショップ)で、それ以外は中心街のトルコ系商店で購入。オレガノと胡椒は、日本のスーパーでも簡単に手に入りますね。スマックは国内でもハラール商店で比較的よく目にします。パプリカフレークは、日本国内だとどこにあるのか、ちょっとよく分かりません。でも、唐辛子フレーク等で十分代用できるのでは、と思います。ちなみに、大学1,2年生の頃にトルコ人の友達と同居生活をしていたのですが、彼女は写真に写ってるもの+乾燥ミントをキッチンに常備していました。

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佐倉のペルシャ系レストラン・サダフ併設のハラール商店で買ったトマトペーストも活躍。もう残り僅かなので、先日四街道のアリアンで同じものを仕入れました。アリアンの方が100円くらい高かったです。トマトペーストと、それからヨーグルトも、同居していたトルコ人の子の常備品だった記憶が。とにかく、大体のものにヨーグルトをかけるお国柄のようですが、彼女がワルシャワで好んで買っていたものに比べると日本のヨーグルトはやや水気が多いので、トルコ料理に使う場合、国産ヨーグルトは少し水切りして使うのが良いのでは、と思います。

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今までの人生で、そのトルコ人の女の子と今の交際相手と、合わせて二人と同居暮らしをしました。誰かと生活空間を共有し、親密に時間を過ごしていると、否が応でも、その人の影響を自分の身に受けることになります。勿論良いことばかりではないですが、それでも、悪いことを差し置いても、誰かを通じて、自分がそれまで知らなかった物事に出会う経験が密にできるという点で、他者との同居は自分にとって素晴らしい人生の肥やしです。ほんの少しトルコの食卓事情について豆知識を得られたのも、あの子と一緒に住んでいたからこそ。貴重な経験だったと思います。今では、香辛料とトマトペーストは、私のキッチンの常備品にもなりました。

最後に、いつぞやのトルコ料理メネメンを作った時のツイートを貼って、おしまい。

 

 

3月6日

相変わらず堕落の限りを尽くした毎日が続いていますが、それでもこの代わり映えのしない日常の背景では、着実に季節が少しずつ春へと進行しています。今日は朝、否、おやつの時間こと午後3時くらいに、モソモソと布団から抜け出し、1階に降りてすぐ食卓まわりとキッチンの掃除に取り掛かりましたが、窓を開けて換気をしていても、部屋に入る外気はもうすっかり初春の肌触り。寝ている間に、冬はもう過ぎてしまったようです。

ドヴォルザーク交響曲第9番新世界より」第二楽章が町内放送で流れる頃くらいに、2階の畳の部屋で眠っていた同居人が起きだしてきて、それから軽く身支度をしたあと、珍しくまだ日が落ちる前に、二人で家を出ました。

行き先は、四街道。私たちが暮らす家からは歩けばそこそこの距離ですが、それでも、コロナを言い訳に常日頃より出不精な生活を送っている我々の鈍りきった身体には丁度良い機会ということで、バスより徒歩を選択。二人してぶらぶらと住宅街を抜け、第二次産業の事業所が並ぶ県道沿いをずっと長いこと進み、国道をまたいで、ようやく四街道の街の灯りが見えてきた頃にはもう、すっかり日は暮れていました。道中、民家の庭先では、白梅の花が満開でした。

ところで、千葉県四街道市佐倉市周辺というのは、知る人ぞ知るアフガニスタン人の集住地域らしく、なんでも在日当該国人の3人に1人がこの辺りに住んでいる計算になるのだそうです。彼らの多くは、アフガニスタン人のなかでも特にイランにルーツを持つ民族の人々であるらしく、そのため四街道市の公式サイトは、全国的にも珍しくペルシャ語対応になっているとのこと。四街道と佐倉、両市合わせて1000人弱にのぼる彼ら在日アフガニスタン人住民の多くは、この地域に多い自動車・産業廃棄物の解体業やその輸出業に従事しているのだそう。

県道沿いでは、英語表記の看板がかかった自動車関連の事業所が散見されました。

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そして歩くこと約1時間で、ようやく本日の目的地「アリアンレストラン」に到着。四街道駅から徒歩15分程度の場所にある西南アジア料理店です。我々のお目当ては、このレストランの隠れメニューである「カブリプラオ」なるアフガン料理。通常メニューにはない一品らしいのですが、頼めば出してくれるとのことで、ネットでは美味と絶賛されていました。

ところが残念。今日は用意がなかったらしいカブリプラオ。店員の女性曰く月曜日はある可能性が高いとのことだったので、また後日チャレンジです。仕方なく、ビリヤニなどを適当に頼み、今回のところは引き上げました。

併設のハラール商店では、肉の品揃えが豊富でした。この辺りの地域だと、他に臼井駅近くのペルシャ系レストラン「サダフ」にも併設ハラール商店があるのですが、サダフには置いてなかった骨なしマトン肉がアリアンにはあったので、個人的にはそこが高評価でした。サダフにあった骨つきラムすね肉はアリアンにも在庫あり。そんな羊肉たちが発する秋波を背中に感じつつも、家の冷凍庫にまだ鶏もも肉がたくさん残っているので、今日はトマトペーストだけ購入しておしまい。650円ほど。心なしかサダフで同じものを買った時より若干高かった気がします(気のせいかも)。

帰りは、疲労とやる気が出なかったのとで、四街道駅前にてタクシーを拾い、県道の途中までそれで移動しました。残りは徒歩。帰宅し、少し本を読み、ブログを書き始め、今に至ります。来週は微生物学の口頭試問があるので、これから少しくらいは、勉強しなくちゃ。

今日のところは、これでおしまい。

2021年2月25日

最後にこのブログを更新してから、ちょうど半年になるようです。

なんとなく、誰に読まれるわけでもない文章を書くのが、ぼちぼち恋しくなってくる頃。ブログを再開してみてもいいかな、と思った矢先に、久しぶりにはてなを開いて、最後の投稿がぴったり6か月前である去年の8月25日だったと気がつきました。キリがいいし、新しい投稿をする機運も高まっているような。そんなわけで、暫くぶりに、ブログ記事の下書きをしています。

まずは、近況報告をひとつ。

去年10月、コロナで色々先行きが不透明であるなか、新学年開始に際して一応、一度はワルシャワへ戻りました。ですが、蓋を開けてみると、授業は前学年に引き続き相変わらずの全オンライン。そんなわけなので、12月頭またしても日本へ早々に引き上げ、それから今に至るまで、ずっとコロナ一時帰国の身です。

今はまた、例の千葉県某所にある旧祖父母宅で暮らしています。前回の帰国時(去年の4月から9月まで)と違うことと言えば、今回は、ひとり暮らしではないということ。恋人と同棲しています。ただし親には内緒。彼と私は、小競り合いの絶えない仲ではありますが、一応は3か月間、曲がりなりにも同居を続けられています。

ワルシャワへ戻る目処はまだ立っていません。噂では、イースター休暇の後くらいから対面授業一部再開+学年末試験は対面実施の可能性高、ということなので、4月か5月くらいには、また飛行機に乗るかもです。

千葉でのふたり暮らしは、完全に堕落しきっています。元々お互い猫並みのやる気すら持たない性格なところに、半ニート状態という現在の社会的ステータスが、輪を掛けて二人のだらしなさを悪化させているかたちです。両方とも学生ですが、私は完全オンライン授業、彼は留年の関係で3月末まで授業なし。いい年して親の仕送りにお世話になっている情けない身分なのもお揃い。

午後もだいぶ深くなってから、モソモソと起きだし(だいたい私が先)、適当に一日2食くらい取って、オンライン授業はミュートしつつ、映画を観たりゲームで遊んだりする日々。早朝、小鳥たちが目を覚ます頃、お布団に戻ります。料理をするのは私、食器の洗いものをするのは彼。

コロナが始まってからというもの、家にいる時間が増え、前より自炊をするようになりました。最近アマゾンで4000円くらいの安い圧力鍋を買い、QOLがギュンっと向上。

www.amazon.co.jp

昨日はビゴスという代表的ポーランド料理(ようするにザワークラウトと肉の煮込み)をつくり、そこそこ美味しくできました。ポーランド料理と言えば正直パッとしないなぁという感想があるのですが、その中でもこのビゴスは、個人的に数少ない美味しいと思える一品です。

japoland.pl

ザワークラウトもアマゾンで購入。

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もう一つのポーランド料理の代表格ピエロギも、アマゾンでカナダ産の商品が買えるもよう。便利な世の中になったものです。

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japoland.pl

それでは最後に、ビゴスのレシピをメモして今日のところは終わりにします。このレシピでも一応はまぁまぁの出来になったのですが、まだ研究中なので、今後改良しつつ、レシピに変更があれば適宜編集しようと思います。

 

材料

  • ザワークラウト 100gくらい
  • キャベツの千切り 2カップくらい
  • 玉ねぎ(小) 1/2個
  • にんにく 2~3かけ
  • 肉(種類部位何でもよい) 200gくらい
  • 赤ワイン 150cc
  • トマトペースト 大さじ1~
  • ケチャップ 大さじ1~
  • S&B フォンドヴォー 1袋
  • バター 大さじ1~2
  • オールスパイス 2ふり
  • ローリエ 2枚
  • グローブ 2~3粒
  • 大粒こしょう 2~3粒
  • 塩こしょう 適量
  • オリーブオイル 適量

 

作り方

1.圧力鍋にオリーブオイルを熱し、一口大に切った肉の表面を中強火~強火で焼き焦げ目つける。塩こしょうで下味をつける。

2. みじん切りにした玉ねぎとつぶしたにんにくを圧力鍋で色づくまで中弱火で熱す(必要なら肉は一度取り出す)。

3. 水洗いして絞ったザワークラウトとキャベツを加え、キャベツがしんなりするくらいまで熱す。

4. トマトペーストとケチャップを加えて野菜に色が馴染むくらいまで熱す。

5. その他材料(塩こしょう以外)をすべて投入。圧力鍋に蓋をし、高圧に設定。はじめ強火で加熱し、安全ピンが下がってから弱火にして15~20分煮込む。

6. 圧力鍋の蓋を外し、必要に応じて塩こしょうやその他何でも適宜加え味を調えれば、できあがり。

8月25日

 しばらく日記をご無沙汰していたけど、今日はせっかくの誕生日だし、ほんの少しの間せわしない日常からちょっぴり距離を置いて、よしなし事をそこはかとなく書きつくる時間を作ってみようと思う。

 

 将来これを読み返している自分のために、念のために記しておくと、今日は令和2年の8月25日。大学2年が終わった年の夏休みの真っ最中だ。今年の夏は、千葉の家と東京の実家を行き来する生活をしている。これを書いている今は、千葉にいて、家の近くの涼しいカフェで、アイスコーヒーをお供にノートPCに向かっている。

 

 コーヒーの前にたいらげたキーマカレーがお腹を程よく満たしていて、ただでさえ寝不足の頭が、さらにボーっとする。アイスコーヒーは少し薄めかもしれない。この後は帰って、冷房の効いた畳の部屋で昼寝でもしようかな。

 

 何も予定のない、幸せな空白の午後。誕生日の日くらい、罪悪感を感じずに、そんなまどろむような時間の流れにぼんやりと包まれていたっていいだろう。

 

 …あぁ、やっぱり、今日はダメだな。麻酔のような心地よい空白が頭に靄をかける。思考停止。まで行かずとも、最徐行。からっぽな午後に、頭はからっぽ、それからベージュのバッグに入った水色のお財布も、からっぽ。でも、それら全てに、満たされた気持ちがする。

 

 昨日、日の入りも近い成田の街並みをバスの車窓から眺めていたとき、隣に彼の気配を感じながら、密かに思った。こんなふうに自分が同い年の異性とこの土地でデートしていることを知ったら、きっとおじいちゃんは喜ぶだろうなぁ、って。

 

 今は空き家になっている千葉の家は、それでも、祖父母がそこを去ってから、まだ一年と経っていない。おばあちゃんのピアノの部屋だって、おじいちゃんの書斎だって、まだそのままだ。この前、書斎の本棚の上、教え子に囲まれて笑っているおじいちゃんの写真を見て、ふと思った。子供の頃から、自分の幸せは、おじいちゃんや沢山の大人たちに守ってきてもらったものなのだと。そしてこれからは、その幸せを、自分で守っていかなくてはならない、と。それがきっと、自分にできる一番の恩返しだろう。

 

 だから昨日、普通の日本の大学生がするみたいに、夕方誰か素敵な人と駅前で待ち合わせして、そのあとレストランやバーへ行って、店内の薄明りのもとで色々な話をしたことが、本当に嬉しかった。あの時自分は、昔おじいちゃんとも訪れた成田の地で、人並みに二十代らしい幸せな一時を過ごしていて、それで小さく、恩を返せているような気がしたから。

 

 もう10年くらい前のこと、中学生だったときは、あまり学校へ行かずによく千葉の家に甘えに来ていたけれど、祖父の車で通った図書館で借りた小説の登場人物を友達にしていたような、あの時のひどく自閉的な少女だった過去の自分を思えば、なおさらのことだ。

 

 中学を卒業してからも、周りの同い年の他の子たちの大多数とは、少しズレた生き方をしてきた。そして気がついたらヨーロッパにいて、そこでの生活は楽しいけれど、それでも心のどこかで、自分にはもう日本での二十代の青春は手に入らないのだろうということを、惜しく感じている節があった。自分はやっぱり日本人としてはズレたままなんだと思って、ちょっと寂しかった。

 

 それでも、昨晩は、バーで近くの席の学生の子たちが酔っぱらって騒いでいるのにちょっと呆れたりしながら、いつでも外側から眺めていた日本の同年代の子たちの輪の中に、自分もいるような気がしていた。不思議な心地がした。それでやっぱり、幸せだった。

 

 それだけでも十分だったのに、どうやら成田の駅前で待ち合わせをしたその人は、昨日さよならを言ったとき、なんだか自分の交際相手になっていたみたい。正直まだ、あんまり実感がわかないかな。今後どうなっていくのかは全くの未知数だけれど、試してみなくちゃ何も分からないし始まらない。お互いに好意を持っているのなら、そこにある可能性を模索していくのは、普通のことだと思う。

 

 まぁ実は初めての彼氏なので、そんなわけで昨日はドキドキして眠れなかった。そうして迎えた誕生日。まだぼんやりと、夢心地のような感じする。ちょうどよい音量のカフェのご機嫌なBGMが、頭にふわふわの真綿を詰めるみたい。外からはセミの鳴き声。グーグルマップ曰く、このカフェに最後に来たのは、3年前だそうだ。おじいちゃんとおばあちゃんと一緒に来たのを、憶えている。あぁ、あれから、長いような短いような年月が過ぎた。私は、自分の人生や、そこで出会う人たちに対して、誠実でいられるかな。そして、自分の幸せを、守っていけるかな。

 

 これは追記だけれど、もし昨日の交際の申し出が、ただの酔った勢いの気の迷いだったのなら、早めに申告してほしいかな。べつに、怒らないから‥。

7月19日

ここ最近に始まったことじゃないけど、つくづく身に染みて思うこととして、幼少期からもう少し体を動かすような習い事や活動をしていれば良かった、という反省がある(まぁ微妙に水泳とか薙刀とかやってないこともなかったけど)。

押しつけがましい教育には疑問があるけれど、自分があまりに放任主義で育てられた結果今セルフ矯正に苦労しているところからして、それにしても将来、自分の子どもには(少なくとも自分が受けたよりは)ある程度というか最低限規律のある育て方をするのが良いんじゃないかと思う(まぁ、その前に結婚相手を見つけられるかという難題が立ちはだかっているのだけど)。そして、その最低限、のうちに入るのが、体を動かすようにさせる、ということ。

思えば、自分の育った家庭は価値観が学業とか芸術とかをより重視する方に傾いていて、体を動かすことの意義とか大切さについては全く無視に近い部分があった。

昔お世話になっていた成育医療センターのN野先生も、自分が高校に入学したとき、部活動はどちらかと言えばより身体感覚を養えるものを選ぶのが好ましいという趣旨のことを言っていた。当時の自分は小生意気で今以上に馬鹿だったから、基本的に人の話は右から左に聞き流していて、そんな頑張るとか汗をかくとか、運動とか、そんな面倒なものは当然端から嫌で、先生の忠告後も勿論断固拒否していたわけだけど、でも今なら、N野先生の意味していたところの少しくらいは、理解できる気がする。

当たり前のことだけれど、身体と精神は連動している。

筋肉体操のお兄さんの一人が言っていたけれど(庭師の人)、筋トレをするということは彼にとって精神を鍛えることに等しいらしい。それからどこで耳にしたか覚えていないものの、脳を鍛える(認知機能の向上)には体を鍛える必要がある、みたいな科学的な裏付けのある話もあった(わりと有名だと思うけど)。あと、今日聴いたKagushun先生のVoicyでも、心をリラックスさせるためにはフィジカルな面からのアプローチが効く、みたいな説明が。具体的に言えば、笑顔をつくることで、脳が「この顔になっているということは今楽しい/幸せなはずだ」と錯覚(Kagushun先生曰く「脳を欺す」)し、結果として実際にポジティブな感情が生まれる、というようなこと。

昔から甲斐性のない性格だと自覚していて、もっと精神鍛錬をしなくちゃ、こんなふにゃふにゃとしたままでは何にもならない、と思っていた。ここで必要なのは、精神を鍛練しようという方向の努力より、体を鍛えようという方向の努力なんじゃないかな。それが結果として、精神の鍛練にもなる、と。

でも、それじゃあ週二日の筋トレと二日の運動を自分に課したら万事解決かと言えば、そんなことはない。なぜなら、そんなの、継続できるはずがないから。それができるならそもそも自分の甲斐性のなさで悩んでいたりしない。

内発的動機付けに頼ることには限界がある。いつまでも「いつかできるようになるかもしれない自分」の幻想にすがり、ただ過ぎていく時間を指を咥えてみているだけでは、時間はおろかその他にも沢山の貴重なものを失ってしまう。そんなことに気がつくのが本当に遅かった自分。

だから、外発的動機付けが必要になってくる。意志力(will power)を行使し、伸ばそうとすることより、いかにそれを使わず自分を物事にコミットさせるか、工夫をほどこす、という方向でやっていきたい。そのためには、動機付けを外注するのも一つの手。
動機付けを外注するということは、そこに他者の関与が生まれる。筋トレなり運動なり、誰か仲間と一緒にする、ということができればそれも良いけど、あいにく今そんな環境は望めないので、お金を払ってサービスを利用する必要がある。

そんなわけで、オンライントレーナーを探し始めるに至った。ネットで情報漁りをした結果程よい価格設定・サービスのバングラデシュ人トレーナーを見つけた。

すぐ色々なことにお金を使うのは良くない(とくに親の扶養の身分で)と分かっているけれど、やっぱり今からでも初心に帰って身体という人間の基本の両輪のうちのひとつ(もうひとつー連動するーは精神)を強化することは、自分の人生にとって優先度が高く重要なことだから、これは必要な出費と思う。そんな贅沢にトレーナーなんかつけないで自分でやれ、と言われるかもしれない。でも、それは「できない」わけだ(繰り返すようだけど、そもそもできるなら…)。できないものをできようとしてただ過ぎていく時間を見送るのは人生の浪費。人生の浪費より多少の出費の方がマシなのである。

せめてオンライントレーニングの月謝(4000円くらい)は自分のバイト代だから出すことにする。リゾバ頑張ってくるわね。