ホーチミン旅行記 3日目
- この日は5時起き。目覚ましの音で飛び起き、そそくさと30分で準備を済ませ、階下の受付へチェックアウトへ向かう。
- 迎えにきてくれていたWanee VietnamのQuy氏と挨拶。大学を卒業し、同社でインターンとして働いているらしい。本日のカンザー自然保護区野鳥観察ツアーのガイドである。後のドライブ中、視界に入った彼のスマホの待ち受けがハチクイの写真で、本当に鳥が好きなんだ、自分と同類だ、と密かに嬉しくなる。
- 後で妹から指摘されて気が付いたのだが、このガイドのQuy氏、どことなく姉の結婚相手である義兄に雰囲気が似ていた。ちなみにワルシャワのバーダーの知り合いも義兄と共通する節があり(共に物理学博士)、妹と二人で小ウケ。
- ちなみに、バーダーという人種に悪い人はいない、というのが個人的持論である。
- 朝食と昼食込みのツアーであったが、朝食に、と渡されたのがコンビニのサンドイッチたったの一パックで、これではお腹がすくため果物とコーヒーを追加で要求したところ、カンザー地区に到着して間もなくそれらを買い足してもらえた。
- Quy氏の片手にぶらさがった袋に入っていたのは、見たこともなければ名前も知らない果物。妹と食べ方を模索しつつ、美味しく頂いた。
- ちなみにカンザー地区までは、計1時間半程度かかり到着した。途中車ごとフェリーに乗ったりもした。
- カンザー地区では、湿地、マングローブ林、塩田、ビーチの四つのバイオームを巡り、それぞれの地で各4,50分程度の探鳥を行った。塩田とビーチの間には、海沿いの地元の食堂で、海鮮たっぷりの昼食を取った。
- Quy氏のご厚意で、彼の私物である一眼レフカメラを持って来てもらっていた。美大院生の妹が過去に大学の選択科目で一眼レフの扱い方を習っていたことが発覚したので、今回のカメラマンに任命する。妹自身も写真撮影を楽しんでくれたようなので良かった。
- 今回一番の出会いは、何といっても、ビーチの近くにいたハチクイ。色鮮やかで美しく、そして可愛らしい鳥である。ポーランドでも、欧州に存在する亜種が同国のごく限られた一部の地域で繁殖期に観察されるとのことで、それを聞いて以来、個人的にずっと憧れていた種であるが、このハチクイを見るという夢は、図らずとも思っていたよりずっと早く叶ってしまった。
- 帰路についてすぐ、車外では土砂降りの雨が降り始める。その前か降り終わった後かは忘れたが、Quy氏が道路沿いの露天商からカンザーの特産だというココナッツジュースを買ってくれた。ベトナム固有の種の実のジュースらしい。ありがとう、Quyさん。
- 疲れて少しうつらうつらしているうちに、次の目的地であるSa Spaに到着。Quy氏とは、お礼と別れの時間。いつかまたベトナムで探鳥をする機会があった日には、是非ともまた彼にガイドを願いたい。
- スパでは、到着と同時に冷たいハーブティーでもてなされ、すぐに施術メニューの確認へ。妹はホットストーン全身マッサージ、自分は髪のトリートメントと手足のマッサージを予約していた。
- シャワーと足湯のあと、それぞれ別の部屋へ案内される。
- Sa Spaの予約は、公式サイトをベトナム語から英語へChromeで翻訳して施術メニューの確認をしたうえで行ったのだが、その際、ベトナム語では手と腕、足と脚を言語上明確に区別しないことが可能なのでは、との仮説が浮かんだ。ベトナム語で同じひとつの単語が、handとarm(またはfootとleg)の両方に使われていたのだ。
- 予想は的中する。手と足のみのつもりでいたが、始まったのは四肢のマッサージ。もともと他人から触られることに苦手意識があるので、最初は緊張のあまり笑いを堪えるのが大変だった。
- なんとか自分を落ち着かせようと必死な自分にウケてくるのである。
「頑張れ頑張れできるできる絶対出来る頑張れもっとやれるって!やれる気持ちの問題だ頑張れ頑張れそこだ!そこで諦めんな絶対に頑張れ積極的にポジティブに頑張る頑張る!北京だって頑張ってるんだから!」
- しかし施術担当者が最初に手をつけた左脚が終わる頃には、大分慣れてきていた模様。少しずつ体の緊張がほぐれ、目を閉じると、瞼の裏にはカンザーで見た美しい鳥と自然風景の数々が浮かんだ。多幸感と、今回の旅行を賄ってくれた両親への感謝の念に満たされた。
- すっかりリフレッシュしてスパをあとにした一行。バインミーで軽くお腹を満たしてから、Cong Capheで時間をつぶし、6時半上演開始の水上人形劇を観に行った。
- その後は、ホテルで荷物を受け取り、空港へ。空港内フードコートの水1ボトルが500円くらいしたのは、まだ許していないが、全体的にとてもよい旅だった。とても満足した気分で、無事成田行きの飛行機へ搭乗。
- とても楽しかった。ありがとう、ベトナム!
ホーチミン旅行記 2日目
- よく眠れなかったため、起床予定時刻より1時間程度寝過ごす。気を遣った妹が何も言わず寝かせてくれた。お陰でこの日も一日、寝不足で疲れることなく過ごせた。
- ホテルから、歩いてすぐのタオダン公園へ。ここで多少の鳥見をする目論見であったが、結局暑すぎてやる気が出ない、カメラの性能の限界、そもそも鳥があまり見つからない、等の理由により断念。ただしこの公園自体はホーチミン市中心部では鳥見ホットスポットであり、この日の朝も互いに顔見知りらしい2人のバードウォッチャーが、ごついレンズのカメラを構えていた。
- 野鳥観察のホットスポットで他のバーダーに出会うという現象は、日本それからヨーロッパでもよくあることなのだが、ベトナムでも同じと知り、個人的には少し感動。
- タオダン公園を通り抜け、横断歩道を渡ってすぐのカフェTrung Nguyen Legendへ入る。チェーンらしく、同じ名前の店を街中で何度か見かけた。他にCong CapheやHighlander Coffeeも市内に点在するチェーンカフェ店であるが、これらを含めホーチミンはお洒落で洗練されたカフェで溢れており、ベトナムがカフェ大国との別称を持つのにも大きく頷ける。
- ちなみに信号を待つ間、暑くて口呼吸になっているスズメを一羽観測。かわいかったのである。
- 名物だと言うエッグコーヒーとバナナのクレープを注文。コーヒーはレモングラス茶と思しき液体と共に出されたが、これは濃厚なコーヒーの味を中和するのに丁度よく、納得の組み合わせ。クレープも非常に美味だった。
- タオダン公園が思ったよりしょぼかったため、一時間寝過ごしたが、スケジュールが押すこともなく、次の目的地ベンタイン市場へ。目白押しの土産物屋は、意外にもカード支払いに対応している所が大半とみえた。ちなみに今回のホーチミン旅行は、九割方キャッシュレスだった。
- 鳥の装飾を施した水牛角の櫛を購入。数年前に京都土産のつげ櫛を紛失して以来まともな櫛を所有しておらず、いつも百均かどこかで買ったプラスチックの安物を使っていたので、今回はとても良い買い物をした。
- と、いう話をホテルに帰ったあと妹にしたら、なんと妹も自分が使っていた安物の櫛と全く同じものを今回の旅行に持ってきていた。姉妹である。
- 市場を去り、ベトナムで一番高い建物であるランドマーク81へ。本当は展望フロアより数階下のカフェへ入る予定だったが、一時間待ちと言われたので、渋々展望フロアの入場券を購入。
- その後、1区へ戻り、コロニアル建築をいくつか見て回ったあと、フランス料理店The Refineryで昼食に。ランチセット目当てだったが、あいにく週末で用意がないと言われたので、単品でスープと牛頬肉の煮込みを注文した。味は、合格点とは言え、特に目を見張るものでもなかった。
- お腹を満たしたあとは、ベンタイン市場近くの骨董通りへ行き、何軒か店に入ってみた。一つ気になった小皿があったが、値段を聞いたところ40USDと謎の高値だったので断念。ちなみにベトナムから骨董品を国外に持ち出すのは法律で禁じられているらしい。まぁ、誰も気にしてないと思われる。
- 土産物屋に心残りがあった妹と共に市場へ戻り、少しの時間を過ごしたあと、戦争証跡博物館へ。2階にベトナム現代史がまとまっているエリアがあり、そこを主に回った。以下のことについて展示と説明があった:
- 第二次世界大戦の終わりにかけ、フランスに代わり日本の支配下に置かれたベトナムであったが、終戦と共に独立を宣言。しかし引き揚げた日本と入れ替わるように、領土の回復を目論むフランスがベトナムの地に再上陸していた。フランス軍はアメリカによる多額の支援を受けたにも関わらず、1954年ディエンビエンフーの戦いでベトナム人民軍に敗北し、結果として撤退を余儀なくされる。その後アメリカの傀儡である南ベトナムと、南ベトナムの解放を謳う北ベトナムとが、ベトナム戦争に突入し、泥沼化するが、1973年パリ協定に署名したアメリカはベトナムへの一切の介入を終止し、1975年北ベトナムがサイゴンを陥落したことにより、長きにわたった戦争はついに幕を閉じた。
- 博物館後は、カラベルホテルのCafe de l'Operaでアフタヌーンティーの時間に。
- 美味しいお菓子とお茶をたらふく堪能したあとは、一度ホテルに戻り休憩。その後、日本語で開催されるボードゲームイベントへの参加を予定していたが、観光バス乗車に旅程を変更。
- バスの従業員からレインコートと例の円錐型の帽子(ノン)を渡され、装備。最初は小雨程度だったが、途中から本降りになる。
- ホテルに戻り、就寝。
ホーチミン旅行記 1日目
- 2023年夏、ポーランドからの帰国便を探していたら、相場が12万程度だったのだが、ワルシャワ⇒ホーチミンとホーチミン⇒東京の航空券をそれぞれ個別に手配し、後者をLCCのベトジェットエア便にしたところ、航空券の総額が相場より数万安く収まった。これにより、ホーチミン弾丸旅行が決定する。
- 無事に今学年最後の試験を片付けたのは、ホーチミンへ飛ぶ前日であったが、この日の晩、友達とウォッカを飲み過ぎて吐くという失態をおかす。謝罪しつつも「でもこういうこと人生で一回はしてみたかった!」などとほざいていた模様。人生におけるまた一つの新たな実績解除の瞬間である。
- なお通常は常日頃より大変品行方正であるため、その功が奏し、ホーチミンへのフライトの席と現地で滞在するホテルの部屋の両方を無料でアップグレードしてもらうという幸運に恵まれる。
- ちなみにホテル滞在費と3日目の野鳥観察ツアー代は、妹の誕生日を口実に父に請求するなどした。妹の生誕に感謝。
- 乗り継ぎ地のカタールからホーチミンまでのフライト中は、アップグレードされた座席のお陰もあり、ほとんどの時間睡眠に集中できたので、結果として到着後も疲れを感じずに1日目の旅程を遂行できた。
- タンソンニャット国際空港で、1時間程早い便で日本から到着していた妹と落ち合う。なんか変な形の眉だったのが滞在中ずっと気がかりだったが、日本のギャルの間では流行っているのだろうか。なお本人への直接のコメントは控えた。
- ホテルにチェックインしたのは17時半ほど。支度をして、この日の主要イベント、サイゴン川ディナークルーズへ向かう。恐るおそる初Grabを手配するが、Googleマップで10分程度の所要時間と表示されていた目的地へ着くのに、結局その3倍以上掛かるというアクシデントが発生。クルーズの集合時刻より遅れること15分程度で現地入りしたが、出航には間に合った。
- インドシナ・クイーン号でのディナービュッフェは、味に関しては、可もなく不可もなく。客層としては、やや正装で家族行事に臨んでいるといった風情の現地人が多かった。外国人観光客もちらほら。日本人は自分たち以外に一組見た。
- 飲み物はビュッフェに含まれていなかったため、別途注文したが、その際会計がなかったので、心配になり従業員にどのタイミングで払うのか聞いたら、後で勘定書きを持ってあなた達を見つけにいくから、との返答。食事後はテーブルを去り甲板に上がる予定だったので、ますます心配になる。
- 食事が済み、甲板で心地よい夏の夜風に吹かれながら中心街の夜景を堪能していたが、たくさんの客がいるなか先ほどとは別の従業員が予告通りこちらへ向かって来て、確かに自分たちの頼んだジュース2杯の料金を請求される。本当に見つけてきた、などと妹とちょっとウケる。山崎まさよしもビックリ。
いつでも捜しているよ どっかに君の姿を…
- クルーズ終了後は、ホテルに戻り、就寝。
12月25日
メリー・クリスマス!
ヴァリツフ通りのアパートメントに住んでいた頃、当時のトルコ人家主に、日本ではクリスマスを祝うかと訊かれたことがあった。「なんとなく(祝う)」。そう煮え切らない返事をしたら、返ってきたのは、トルコでも同じだという答え。もちろん、キリスト教の祭典に起源があることに違いはないけれど、これだけ西洋世界の影響が強くなった現代では、クリスマスは今や宗教的な文脈を超えて、世界的な行事になった感がある。西洋の技術・文化の輸入にかけては歴史の長い日本はもちろん、イスラム世界の一部ですら、12月の25日は一年を構成する365日のうちのだたの一日という訳ではないらしく、この季節、冬休みの帰国のために過去にドバイやカタールで乗り継ぎした時には、空港はだいたいクリスマスムード一色だった。来年に予定してるエジプトでの病院実習の調整のためにメールで連絡を取っている現地のドクターですら、クリスマスの挨拶をしてくれたのには驚いたけど。
そう、エジプトでの病院実習。後先考えない衝動的な行動で一気に外堀を埋めて後に引けなくなる、という自分にありがちなパターンを今回も見事に踏襲した結果、こんなことになった。行き先は、シャルム・エル・シェイク。エジプト東部シナイ半島の南端に位置する、紅海に面したリゾート地である。そもそもの事の発端は、約二週間前。耳鼻咽喉科の試験を翌々日に控え、いつも通り現実逃避に精を出していた時にまで遡る。英語圏の医学生によって運営されている某サイトで、シャルムにダイビング疾患を専門とした治療を行っている病院があることを知った。エジプト観光省管轄下の公的な病院であること、過去にそこで実習をした学生の口コミも何件かあったことから、信用できそうだと思い、病院の担当者にメール凸。来年二月頭頃の実習受け入れ可否を問い合わせた。まぁこういうのはだいたい返事こないパターンやろ、と高を括っていたら、二日後にはあっさり先方から快諾の旨返事が。困ったことになったと思いながら、気が付いたらその翌日にはロンドン経由のLCC航空便をクレカで購入していた。往復3万円。イタリア辺りで乗り継げばもっと安い便(1万円台から)がある模様だけど、色々フクザツなあいつ(ビザ)との関係でシェンゲン圏内での乗り継ぎができないため、この選択に落ち着いた。宿に関しては、病院敷地内の学生宿舎に一泊あたり15ユーロ(約2000円)で泊まれるらしい。高級リゾート地にこの値段で滞在できると思うと、高笑いが止まらないわね。あとはどうやって毎日病院を抜け出すか策を練るのみ。
そんなわけで、クリスマスだか何だか知らないけど、冬休みは元気に引きこもって在宅バイトに明け暮れる毎日を送っている。仕事の中身は、例によって身内の職場から流してもらっている翻訳。年末年始は大体いつも人手が必要みたい。季節労働ってわけ。でもせいぜいが時給1000円なので(哀しい学生バイトの性)、冬休み中ちょっとやそっと働いたところでエジプト実習の渡航・滞在に掛かる費用の全てを賄えるわけでもなく、残りは種々のへそくり(最後の一週間は適当に理由つけてバックレた去年の〇光義塾での講師バイト収入の残りなど)と年始の臨時収入(aka爺(おきな)からのお年玉)に頼るつもりである。
そう言えば、昨日はワルシャワ郊外にある友達パヴェウの実家に招待されて、クリスマスイブの夕食会に参加してきました。ポーランドではイブの夕食に肉を食べないのが伝統らしく、ダイニングテーブルの上に綺麗に並べられていたのは、何種類もの魚料理。なかでも鯉の燻製が本当に美味だった(魚が好きじゃないパヴェウは死んでたけど)。食事の後はプレゼントの時間で、恐縮なことに、この何処の馬の骨とも分からない日本人小娘のためにも、可愛らしい小包が用意されていた。中身は、栞とマグカップ。今回の冬休みは帰国叶わず、ポーランドで過ごす初めての年末年始になったけど、現地のクリスマスを体験する良い機会に恵まれて、本当に幸運だったと思う。
ちなみに、冒頭でクリスマスがいかに宗教的文脈を越えた行事として世界的に親しまれているかについて触れたけれど、皮肉なことに、キリスト教の本場ここヨーロッパでさえ、近年では主に一部の若者の間でクリスマスにおける宗教離れの潮流が生まれつつあるらしい。今週の火曜日、旧市街のカフェで、店内のクリスマスツリーが星を戴いていないことに気が付いた時、パヴェウからそんな話を聞いた。星の飾りはキリスト教を象徴するものだから、宗教色があるのを嫌う場合に、あえて付けない選択をする人もいるとのこと。ちなみに、パヴェウ家の居間のクリスマスツリーに星が付いていたかは、覚えていない。
手記・はじめての一眼レフ ② やっつけ転売編
ワルシャワは秋も深まり、街中の石畳の通りは鮮やかな黄色の落ち葉に彩られています。今朝はとくに冷えて、先週にも増してうんと気温が下がってきている模様。そろそろ手袋を調達しなくてはなりません。イヤホン・手袋の類はいくつ買ってもすぐ無くすので、100均とかH&Mの安いやつを大量に仕入れるに限ります。でもいつか、少しばかり高価でも、小さな自分の手にピッタリのサイズの手袋をオーダーメイドで仕立てるのが、自分のささやかな夢。
先週いっぱいでスパルタニスカ通りの専門病院でのリウマチ学が終わり、今週1週間は顎顔面手術のコース。でも授業があるのは月曜と水曜だけ。まぁ正直言ってこの顎顔面は、わりとどうでもいい科目なのです。今学年に入ってから、1~3週間のローテーションで各科を回るカリキュラムになり、その授業時間の内訳は病院実習と座学が半々くらい。ただ顎顔面に限っていえば、今日はずっと座学で、たぶん水曜も同じ。場所はバナハ校舎の隣の小児病院です。つい先週だったか、ショパンコンクールに出た日本人医学生がこの病院の見学に訪れたそうで、ツイッターでも一部界隈で少し話題になっていました。沢田蒼梧さん。名古屋大医学部の5年生なんだそう。
今年の優勝は、中華系カナダ人のブルース(シャオユー)・リウでした。日本人勢からは反田恭平と小林愛実が入賞。ここ一週間くらいは、毎晩のようにショパン協会がホールから生配信するピアニスト達の演奏に耳を傾けていたものの、一昨日、最後の入賞者コンサートが開催されて、このルーティーンにもついに終止符が打たれました。入賞者コンサートでは、入賞者が6位から順に演奏していくのだけど、優勝者のコンツェルトの前に休憩時間があるのね。その間に熱いシャワーを浴びて戻ってくると、入賞者のインタビューとかショパン・パフュームのCMが流れてたりして、何回も見てるから内容は分かりきってるんだけど、なんだか毎日同じものが流れると、不思議と心が落ち着く。でも、もうコンクール期間も終了して、毎晩のルーティーンがひとつ消え去ってしまったから、ちょっとロス気味。あまちゃんロスみたいな感じね。
しかしまぁ何というか、前置き(なのか?)が長くなったけど、今日の本題は、他でもないカメラ転売。先日、長時間フライト中に暇を持て余しすぎた結果いやに長文で一眼レフ購入記を書いてしまったけど、結局このEOS Kiss X2とは早々にオサラバすることとなりました。バードウォッチング中に持ち運ぶにはあまりに重すぎる、というのが主な理由です。一番重視していたズーム機能についても、Kiss X2に付属していた250mmレンズ以上の倍率機能を搭載するコンデジ(コンパクトデジタルカメラ)が最近は幾らでも存在するということが分かり、なにも重くてかさばる一眼レフにこだわる理由がいよいよ無くなってしまいました。しかも、コンデジなら動画撮影も可能。軽い・高倍率ズーム・動画可と、三拍子揃って、(低予算)バードウォッチング(特に初心者レベル)用カメラに関してコンデジに軍配が上がらないはずがありません。そもそも一眼レフを探し始めたのは、キャノン公式運営の野鳥撮影のための情報サイトで、カメラ選びのページにあたかも一眼レフの方がコンデジよりずっと適してるかのような印象操作がなされていたからなのですが、これも今思えば、より高価な一眼レフに客を誘導させるための奴らの商法に違いないでしょう。おのれキャノン!
そんなわけで本日午後、顎顔面の授業の後に向かったのはヴィスワ側の対岸、プラガ地区にあるタルゴヴァ通りの某カメラショップ。アブドラも一緒。突如チャラチャラ店内になだれ込んできた外人キッズ2名に最初は怪訝そうな顔をしていた店員のおじさん(イケオジ)も、話すうち心を開いてくれた模様で、とくにキッズのうち一人がカメラの聖地日本から来たと知った後は、心なしか歓迎ムードでした。
約1万7000円で購入したEOS Kiss X2ダブルレンズキット。1万6000円程で売れたので、2000円プラスで、店に在庫のあった中古コンデジPowerShot SX730 HS(キャノン)を約1万8000円で買いました。店側との交渉はもちろん生易しくはなかったけど、キッズ2名の猛攻をかわし切れなかったイケオジが最後に折れて、SX730 HSをそこそこ割り引いてくれた形に収まりました。
無事バードウォッチングの装備も揃ったところで、本格的に冬が到来する前に、出来るだけの鳥見がしたいもの。水曜の放課後、学校近くの雑木林にでも繰り出そうかな。天気が良いといいけど。
手記・はじめての一眼レフ ① やっつけ購入編
タイトル通り、このたび一眼レフカメラを手に入れました。
機種は、キャノンのデジタル式一眼レフEOS kiss x2です。2008年発売のモデルで、新しくはないですが、
しかし、いかんせんカメラに関しては、100%
雑調べで得た情報によると、鳥見に使うカメラで重要なのは、
前々から、
すぐ目と鼻の先にそびえ立つコクーンタワーをちらりと仰ぎ見、
何だかオタクみたいな客ばかりで、
しかしまぁ何はさておき、この中古カメラ“市場”潜入体験のハイ
mju 2を買い上げ、店を後にし階段を下りながら、
そんなことで、だいぶ話が長くなりましたが(なりすぎ!)、
手記・はじめての一眼レフ、以下続編執筆予定です。乞うご期待!
- 手記・はじめての一眼レフ ② アクセサリー編
- 手記・はじめての一眼レフ ③ 実際に使ってみた編
9月24日
夏休みも、残すところあともう1週間と少しになりました。今日は12時くらいに起き出して適当なものを軽くお腹に入れたあと、家の近くのコンビニを3軒回って、マリトッツォを買いました。2つ。在宅勤務をしている母にも、若者の間で流行りの品をお裾分けです。セブンのマリトッツォは生クリームがオレンジピール風味で、あと中に少し苺のジャムが入っていたのも、なかなか粋なポイント。母からは「ただの生クリームが挟まってるパンじゃない」とのご感想を頂きました。
今年の夏休みを総括すると、ズバリ、心身の回復に費やした2か月半、といったところ。数か月前には、あんなに二十代前半の夏の思い出作りがどうのと騒いでいたのに、随分としょぼくれた日々を過ごしたものである。
「うつの始まりですね」
そう告げられたのは、スウェーデン旅行から帰って間もない7月半ばのことだった。不眠の症状に悩み、ワルシャワ市内の某精神科クリニックを受診。WUM*のOBだというその日の担当医は、名前から察するにポーランド人とアラブ系の混血とみられ、比較的若い、結構タイプの男性だった。そして話もそこそこに、ザックリ診断&ドッサリ処方。1か月後にまた受診するよう言われて、その日は解散(バンド?)したわけだけど、結局再診に至ることはなかった。受診料がバカ高くなければ、タイプだったしもう一回くらいアポ取っても良かったのに。薬局でもらった薬のうち、SSRIには手をつけなかった。眠剤だけ少し飲んだけど、それも今に至るまで使い切っていない。
*WUM = Warszawski Uniwersytet Medyczny ワルシャワ医科大学
とりあえず日本の実家に戻って静養しようと思い、受診から間もなく帰国。それから2か月半、少しずつ、寝れるようになって、心身の調子も持ち直してきている。でも正直、10月からまた新学年を始めに学校へ戻ることが良い選択なのか、微妙なところだと思う。回復ゲージも、50%くらい。まだ本調子じゃないわけ。まぁやってみて無理そうだったら休学するしかないかな、という感じ。
話は変わるけど、今週は母と二人、箱根へ小旅行に行ってきました。一日目の午後に新宿を発ち、ロマンスカーに乗ること約90分、あっという間に箱根入り。この日はホテルにチェックインしたあと、近くの湿性植物園をちょろりと散歩するくらいで終了。夜はホテルレストランのビュッフェで美味しいものをたらふく堪能した母娘。二日目は、海賊船にロープウェーという箱根定番の観光スポットを回り、最後に箱根湯本でお蕎麦を食べて帰路につきました。
箱根と言えば、温泉。ホテルの最上階に大浴場があって、見晴らしも抜群だったのね。サウナと水風呂で整えたあと、山並みの向こうに沈みゆく夕日を眺めつつ、外気を肌に感じながら露天風呂でゆっくり長くお湯に浸かった。あぁ、これが、phaがナリワイの人との共著で言ってた、田舎行って五感を刺激されるアクティビティに興じるやつかぁ、と思った。あと、右脳おばさんことテイラー博士の言うところの「考えるな、感じろ!」(そんなことは言っていない)ってやつかぁ、とも思った。やっぱり温泉は最高なのである。
近い将来には、自分のお金で、母を旅行に連れて行ったり、美味しいものをご馳走したりしたい。実は最近、医師になるモチベが正直自分でもよく分からなくなる時があるのだけれど、もうここまで来て引き返すのもそれはそれでダルいので、ここから先は、母に恩返しすることを第一のモチベに据えて頑張っていくことにした。とは言え、医師業に就くことは、自立と親孝行に十分なくらいのお金を稼ぐ唯一の手段ではない。他にも色々道はあるわけで、卒業(+医師免許取得)後に医師以外の職業ー例えば医薬翻訳あたりーに落ち着くのも、それが可能なら、アリなんじゃないかと思う。
まぁ、あれこれ考えたところで何が解決するわけでもないし、結局は、自分の心と体と相談しながら、一つひとつ、目の前の課題に取り組み続けるしかないんだろうな。その先に何が待っているかは、神のみぞ知る。
おまけ ~箱根で着た服~
1日目
- 生成り色のパンツ(去年千葉のイオンで購入)
- 紫のTシャツ(ヤスコレ:母の妹の靖子おばさんのお下がり)
- 紺の帽子(母からの借り物)
- 赤いバッグ(ヤスコレ)

1日目の夕食時
- カーキ色のワンピース(ヤスコレ)
- 淡いグレーの上着(ヤスコレ)

2日目

ヤスコレ率高めとなっております。