フィンチのお気持ち表明板

ブログと日記の狭間

スウェーデン旅行記5

7月7日(火曜日)

  • この日Aはご出勤のため、ソロで町へ繰り出す。行き先はDalarna博物館。滞在先アパートメントのある町はずれの住宅街から、グーグルマップを頼りに、湖畔に沿って歩道をずっとゆくこと3,40分ほど。北欧とは言え夏のさなか、日照りは強く歩けば服の下が汗ばむ。しかし湿度は低く、木陰に入れば少し涼やか。
  • Falunが属するDalarna地方はスウェーデンの典型的な田舎文化を色濃く残す土地と見なされているらしく、その文化を紹介する常設展示があるDalarna博物館はAイチオシ。コロナ感染対策のため来訪前に電話で予約する必要があった。
  • ホニャ世紀の家屋の模型、民族衣装、絵画(Dala painting)、伝統工芸品である木彫りの馬(Dala horse)等を鑑賞。
  • 仮設展示は絵本画家Ottilia Aderborgの作品展。日本人が描くメルヘンな西洋のおとぎ話の世界観そのものの可愛らしい絵の数々が並ぶ。
  • 町中のカフェで仕事帰りのAと落ち合う。小さなサンドイッチと紅茶、簡単な甘味を注文。Aからは彼女の働く病院の労働環境について色々な話を聞く。
  • カフェを後にし、散歩。湖沿いのベンチに座りカモや浅瀬で沐浴している爺などを眺める。平和に過ぎるひと時。A曰く、全裸で湖に入っている人(中年以上)を見たこともあると。
  • 大雨に降られる。ずぶ濡れ。
  • 帰宅。諸々のことを語らう。失くし物・落とし物エピソードを自慢し合っていたところ、Aに最強のカードを繰り出される。昔ポルトガルに旅行中、何がしかの集会に参加した時に、広く人の多い会場でiPhoneを失くしたA。個人的に警備員に尋ねても追い払われて終わりだと考えた彼女が助けを求めると決めた先は、なんと集会に出席していたポルトガル大統領、その人。特攻をしかける。iPhoneを失くしたと訴える小娘に対して、大統領はごく気さくに対応してくれたとのこと。なおその後Aが座っていた会場ソファのクッションの隙間にiPhoneが挟まっているのをA本人が発見。
  • ちなみに自分の滞在中もAは弟のクレジットカードを紛失しているところだったが、A宅ソファのクッションの隙間に挟まっているのを自分が発見。
  • 今後何か失くした場合にはとりあえずクッションの隙間を探すと良いのでは。
  • セックスアンドザシティーの映画版パート2を観て寝る。

スウェーデン旅行記4

7月6日(月曜日)

  • この日はキノコでお腹下したことにして仕事を休んだAとFalun観光の目玉である銅坑跡へ向かう。Aの職場では、7日以内なら医者の診断書なしに電話連絡一つで仕事を休めるらしい。
  • A宅から職場までは徒歩圏内(昼休憩時にランチを食べに帰宅できる程の距離)であり、外出時は職場の人に出くわさないかややドキドキ。
  • 銅坑跡では、昔実際に使われていた地下通路を探索するツアーに参加。ヘルメットとマントを装備。ひんやりした空気と暗闇、地下世界の静けさを際立たせる音の反響。温かい飲み物とブランケットを持参して寛ぎたくなる雰囲気の場であった。
  • 五輪の話題になる。以前スウェーデンで開催された時、日本人のマラソン選手が突然競技中に失踪し後日人知れず帰国していたことが判明する、という事件が起きた話を聞く。
  • この日は雨降り。銅坑跡を去り、家に戻りゆっくりフィーカとすることに。帰り際、街のスーパーへ寄る。意外にも日本とあまり変わらない価格帯の品揃えであった。外食は高くつくスウェーデンでも、自炊は日本と大差ないとみられる。
  • 帰宅即フィーカ。カフェインレスのお茶の他、スーパーで購入したシナモンロールとポテチ、そして数日前にAが自ら畑で摘んできたという苺をいただく。
  • フィーカの供に、セックスアンドザシティーの映画版パート1を観る。Aは職場で人間関係のトラブルを抱えており、何も考えずに軽く鑑賞できるものが良いとのことで、このチョイス。
  • ちなみにAはこの人間関係上のトラブルの件について弁護士に相談していたが、医学生として加入している医療関係者向け保険の関係で、その相談料もタダとのこと。しかし結果的には弁護士にたしなめられて終わったもよう(後日談)。
  • 就寝

 

 

スウェーデン旅行記3

7月5日(日曜日)

  • 1億5000万年ぶりの朝6時起床。7時20分発の電車に乗るため、身支度もそこそこにホテルチェックアウトを済ませ、ストックホルム中央駅へ向けて出発。駅チカのホテルを取っておいて正解だった。朝の街並みの景観を堪能しながら、歩くこと約20分。駅に到着。道中、ノーベル賞授賞式のニュースによく出てくる例の建物の前を通り過ぎたが、入り口の前で移民と思しきホームレス数人が寝ていた。
  • 途中、乗り継ぎをはさみ、Falunへ到着。このネムみである。Aが駅のプラットフォームで迎えてくれた。
  • A宅に荷物を置き、ランチへ。街の中心部から少し離れた森のそばの食堂のランチビュッフェ、お値段約2500円也。健康的かつ彩り美しくおいしそうな品々が並ぶ。馬肉ソーセージと魚のマリネをお気に入りに追加。伝統的なクリスプ・プレッドなども食す。
  • 食堂の裏から森へ入り、探索。ブルーベリーやきのこを採る。
  • 家へ戻るバスを逃し、近くの街に住むAの弟に車で迎えに来てもらうことに。
  • 帰宅。Falunの自然景観はどこか長野を思わせるところがあったが、AがFalunの水道水の質が良いことを強調する様が、まさに(少なくとも今まで自分が会った)長野人のそれと被り、少し面白かった。
  • 森で採ったきのこを調理して、クリスプ・ブレッドの上にのせ簡単な夕食に。
  • 諸々のことを語らう。Aは今年26になる。日本人の間でありがちな年齢的プレッシャーをAはあまり感じていない風情だった。何歳までに結婚、とかその類。しばらくは恋愛にも興味がないと言っていた彼女。もし今目の前に理想の人が出現したとしても、アプローチすることはないだろう。いずれ恋愛をしたいと思えるようになった時に、彼がまた自分のもとに現れることを祈るだけ、とのこと。スウェーデンでは、何歳になっても恋愛をするらしい。
  • ストックホルムより緯度が高いFalun。真夜中になっても、辺りは完全に暗くならず。写真はA宅のベランダから撮ったもの。
  • 就寝

スウェーデン旅行記2

 7月4日(土曜日)

  • 中央駅のアネキ:Modlin空港(初利用)行きの電車に乗ろうとするが、普段は使わない長距離電車なので勝手がよく分からず、案内所から券売機から、ワルシャワ中央駅構内を奔走していたおれ。駅員に色々尋ねるのに、同じ女性が二度通訳を買って出てくれた。一回目はともかく、二回目、違う場所だったのに、背後から同じ女性が現れてビックリ。思わず笑いを堪え…切れず。なにはともあれ、シルドミエシチェ駅に行けと言われる。
  • シルドミエシチェ駅のアネキ(戦犯):無事シルドミエシチェ駅に着いたものの、かなり古い仕様の駅で、電光掲示板がない。どのプラットフォームで待てば良いのか分からず、そのへんの女性に助けを求める。電車の出発時刻になり、それらしい電車が目の前に現れるも、少し待てと言われ、その言葉を信じ乗車せずにいるうちに、非情にも電車は出発進行。結果、空港行きの電車を逃す。
  • 仕方がないのでUberでModlin空港へ。
  • 無事搭乗。ものの1時間ちょっとでフライト終了。Skavsta空港からバスでストックホルム中央駅へ。EU全域ローミングのパックを買っていたはずなのに、ポーランドSIMカードが使えなくなり、パニック。仕方ないので、そのへんのWiFiを拾いUberを呼んで一晩滞在する予定のホテルへ。
  • 気さくなUber運転手。セルビア系らしい。ストックホルムの中でも最も物価が高い地域を通り過ぎたとき、例としてシュリンプ・サンドイッチの値段の相場(30ユーロ!)など解説してくれたが、やや口が悪かった模様("So, this is the most expensive area shit!")。
  • テルチェックイン。ポーランドSIMはネットローミングのみならずSMS・電話発信もダメになっていた。ネットなし限界生活を送っていた(なんでやねん!)Falunの友達Aと連絡が取れず困る。急きょSkypeアプリをスマホにダウンロードし、ホテルのWiFiを使ってIP通話機能でAの携帯電話番号に掛けるも、最初スパムだと思われ出てもらえず。2回目のトライで通話繋がる。その後最寄りのセブンでスウェーデンSIMをゲットし事なきを得る。
  • 就寝

スウェーデン旅行記1

無事、4年生への進級が決まりました。

6月末の最終試験の期間は、目まぐるしく多大なる負荷とカオスのうちに過ぎ、振り返れば一瞬のことだったように感じる。ザコ科目の代名詞Lab Diagnosisのみ再試にかかったもの、これで留年することはまず無いので、無事、めでたく魔の3年生をクリアしたことに。まさに台風一過の心境。

先週の金曜日、最後の試験(微生物)を受けたあと、コロナ抗原検査とやっつけ荷造りを済ませ、翌朝スウェーデンに発った。今回の日記は、その旅行記パート1。

金曜日(7月3日)

  • 試験終了後、事前に予約していたコロナ抗原検査を受けに某所へ向かう。ものの10分程度で陰性結果を受け取り、ハッピー気分だったのも束の間、念のためスウェーデン公式のコロナ入国規制情報のサイトを再度確認したところ、数日前に規制に変更があったことを知る。陰性証明でなくワクチン接種証明が必要になった(と、誤読)。大パニック。あとそのへんの鳥に頭にふん落とされる。
  • 検査所の受付に戻り、ワクチン接種証明をどこで発行してもらえるか(あと鳥のふんが頭に落ちたのでティッシュもらえるか)尋ねる。とりま接種受けた病院へ行け、と言われた気がする。
  • 頭を洗う間もなく、ワクチン接種を受けた病院へ。が、証明書発行担当者はすでに終業ずみ、月曜日にまた来いと職員の女性に告げられる。女性と自分の一連のやりとりを聞いていた青年に、Medicover(プライベート保険のクリニック)に行けとの助言をもらう。
  • 最寄りのMedicoverへ突撃。道中Uberの車内で再度スウェーデンの入国規制情報を確認し、「あれ、誤読だったんじゃね?」と気がつく。実際は陰性証明だけでOKのはずだった。しかしそんなこんなでMedicoverの入り口に到着。少し考え撤退を心に決める(要らない書類の発行にお金が掛かったら嫌だから)が、受付のお姉さんに挨拶され後に引けなくなる。仕方なく、とりあえずワクチン接種証明書が欲しい旨説明。廊下の先の担当デスクへ行けと言われる。
  • 廊下の途中に別の出入り口があったので逃亡を図るが、背後から受付アネキの「そっちじゃないわよ」の一言が飛び断念。
  • 結果的に、紙版EUデジタルCOVID証明書をタダ(歓喜!)で発行してもらえました。めでたしめでたし。(ちなみに以下は、ハンガリー在住の方のブログのようですが、このEUデジタルCOVID証明書について分かり易い解説があったので、興味ある方のために一応リンク貼っておきます)

health-note-hu.net

6月20日

ワルシャワ中央駅近くのスタバで、苺とアサイーの清涼飲料を注文。窓の外、通りの街路樹の枝に生い茂った緑の葉の隙間から、遅い午後の陽の光が差し込んでくる。日曜、店内は人もまばらで、1時間くらい、自分の席のそばには大きなスーツケースを持った黒髪のロシア語を喋る女性がずっと一人座っているほか、客の流動がない。昨日と今日、気温は30℃に達した。ツイッターを開けば、在欧邦人アカウントが盛んに小型冷房機の話をしている。

 

25日に、病理の最終試験。それから1週間後の微生物を片付ければ、夏休みだ。今年の夏は、どんな夏になるだろうか。実は最近、なんとなくデートを始めた人がいて、諸々の事情で彼とは長期的な関係になる可能性は低いのだけれど、それでも日本に帰って暇するくらいなら、この夏はワルシャワに留まってその人と共に時間を過ごすのもアリかもしれない、と思い始めた。彼は、8月にある私の誕生日のことも気にかけてくれている風情だし。

 

色々な人間模様のなかに身を置いて、それなりに、家を訪ねあったり一緒にレストランで食事をしたりする友達や、デートの相手がいても、時折ふっと、孤独感に苛まされる。最近、とくにそうだ。もしかしたら、ほぼほぼ短期的関係にしかなり得ない相手と刹那的にデートしたりするのは、やっぱり自分に向いてないのかもしれない。そんなことをしても、本当に自分と芯から誠実に向き合ってくれる誰かが、今の自分の人生に不足しているということが、浮き彫りになるだけ。

 

それでも私は、一人で飄々としていられるほど強くない。何か自分の青春の遅れを取り戻そうとするような気持ちと、残された若い時間の少なさに対する焦りに急かされて、半ば強迫的に、夏の間のスケジュールを埋めようと躍起になってる。そのためなら、柄でもなく異性と一時的にデートするのだって、選択肢の一つだと思ってさえいる。

 

いつからか、生来の自閉的な性格と学校にあまり行かず育った経歴のせいで、自分は同年代の定型的な人たちと比べて、色々な面であるべき水準に達していない、という負い目のようなものを常に意識するようになった。もっと普通にならなきゃ。そう思いながら生きてきた。だから去年の夏、初めて恋人ができたとき、それが幸せだったのは、自分もついに他人様と交際できるくらいには「人並み」になったのかもしれない、と感じられたから。結局、彼との関係は、一年と続かなかったけど。

 

でも、私が「あるべき水準」「普通」「人並み」という言葉を並べ立てているとき、それは往々にして、対人関係にまつわる自分のスキルや現状について考えているときだったりする。それが、自分の10代の頃に、最も大きく欠落していたものだから。ただ、最近ふと思ったのは、自分はもしかしたら、あまりにその負い目を意識するあまり、人生を構成する様々な要素のうちでも、友達・恋人(との関係、または彼らと共にする活動)ばかりに囚われすぎて、ともすると、他の物事を疎かにしがちなのではないか、ということ。

 

自立とはより多くの依存先をつくること、とよく言うけれど、最近の自分は、自分の精神的均衡を保つための依存先のあまりの大部分を、誰かとの関係に求めすぎているかもしれない。もっと他にも、趣味、語学、医学の勉強(本業!)と、今の自分が気にすることのできる物事は、沢山あるだろうに。自分を取り巻く人間模様のいちいちに、一喜一憂し、心理的に振り回される程度を減らすには、人間以外のことに目を向けるしかない。自分の抱える諸々のなかで、人間関係が占める割合を、減らしていった方が、より健康的だと思う。それに趣味も語学も勉強も、きちんと向き合えば、その分自分に磨きがかかって、巡りめぐって、人との出会いや関係にも良い影響を及ぼすだろう。

 

この夏をどんな夏にしようか。そう考えたとき、たぶん、理想としては、依存先を開拓し耕すことに、今までより少しでも注力できれば良いんだと思う。音楽や乗馬、英語・ポーランド語、それから後々の国試を見据えた医学の勉強。運転免許を取るのもアリだな。その傍らで、誰かといくつか、素敵な思い出を作れればいい。

 

4月11日

ドバイからワルシャワへ向かう飛行機の中にいる。エミレーツ航空EK177便は定刻よりやや遅れて出発。搭乗の遅れた乗客を待っていたようだった。暫くの待機の間、機内は少し、蒸し暑いくらいだった。ポーランド人と見られる大半の乗客の服装も、すっかり夏の様相。そして今は、離陸から少し経ったところ。備え付けのスクリーンに映るフライト情報によると、機体は、上空45,005フィート、時速558マイルで、季節を逆戻りしている。ほぼ常夏のドバイから、初春のワルシャワへ飛んでいる最中だ。


10時間のドバイ乗り継ぎ中に市内観光をすると決めたのは、ほぼ思い付きのようなものだった。ほんの軽い気持ちで、同級生のイラク系ドバイ住民アブドラに街案内を依頼。二つ返事で快諾を得た時、もう後に引けなくなってしまったと気がついた。


コロナ禍が始まって以来、しみじみ感じるようになったことがある。今目の前、自分の手の中にある機会や可能性が、いつどんな事で失われてしまうか、全く分からないのだな、ということ。例えば、ポーランドで学生をしている間に、周辺諸国を観光するのだって、以前は、まだ卒業まで数年あるし、いつでも出来ることだと考えていた。でも、今このコロナ禍の状況下では、それも前ほど簡単なことではなくなってしまったわけ。これはほんの一例だけどね、でも、とりわけ最近は身に染みて思う。今手にしているチャンスは、今、後回しにせずに一つひとつ回収していく心掛けを持ちたいと。ドバイ半日観光は、ほんの思い付きだったけれど、それを実際に行動に移した背景には、最近の私のこんな気持ちがあった。


腹に抱えた一抹の不安とは裏腹に、ドバイ空港での入国はあっさり済んだ。わざわざ用意したPCRの陰性証明書も、そのへんに立ってたおばちゃんにピラっと一振りして見せれば良い程度の話だった。正直幾らでも偽装の陰性証明書で通過できると思う。


10時間は、短いようで短すぎることもなく、意外と色々な所を見て回れた。頬や腕をじりじりと焼く太陽の光と蒸した空気の、少しばかりの生理的不快さは、遠い異国、旅先の非日常にいるという実感をより際立たせた。ほんの半日前には日本にいて、今はドバイの水上タクシーに揺られダウンタウンの遠景を望んでいる。鳥の鳴き声に、潮の香り。頬を撫でる生暖かい風。ひとつ大きく息を吸い込むと、いつになく五感が研ぎ澄まされるような、生きいきした気分がした。ハレとケの、ハレ。ずっと将来、今この時が過去になっても、記憶のヴェールの向こうに淡く幸福に輝いているだろう、そんな思い出を作っているのだと思った。忘れることはないだろう。早朝、民族衣装を来て空港まで迎えに来てくれた友人。高層ビルの輪郭をぼんやり浮かび上がらせるオレンジ色の朝焼けと、白い砂浜の感触、足を浸した水の温度。冷房をガンガンに効かせた車内に軽快なBGMを流したドライブ。ブルジュ・ハリーファを見上げる広場のベンチでの会話。スークで売られていた鼻をつくスパイスの香りと、ラクダミルクのジェラートの味。

 

そしてほんのまた半日後には、ポーランドにいるのだ。正直、自分はなんて幸運で、そして甘やかされているんだとうと思った。日本の家族のことを考えて、気分の高揚が暗い影を落とすように、少しの後ろめたさを感じた。


不出来な娘の我儘を許してしまう、その両親の盲目の愛で、胸が痛む。今の私にできる、せめてもの埋め合わせと言えば、学業を疎かにしないことくらいなんだろう。あと1時間弱で、飛行機はワルシャワに到着する。そろそろ日記はお終いにして、微生物学のテスト勉強でもしようかな。