フィンチのお気持ち表明板

ブログと日記の狭間

7月19日

ここ最近に始まったことじゃないけど、つくづく身に染みて思うこととして、幼少期からもう少し体を動かすような習い事や活動をしていれば良かった、という反省がある(まぁ微妙に水泳とか薙刀とかやってないこともなかったけど)。

押しつけがましい教育には疑問があるけれど、自分があまりに放任主義で育てられた結果今セルフ矯正に苦労しているところからして、それにしても将来、自分の子どもには(少なくとも自分が受けたよりは)ある程度というか最低限規律のある育て方をするのが良いんじゃないかと思う(まぁ、その前に結婚相手を見つけられるかという難題が立ちはだかっているのだけど)。そして、その最低限、のうちに入るのが、体を動かすようにさせる、ということ。

思えば、自分の育った家庭は価値観が学業とか芸術とかをより重視する方に傾いていて、体を動かすことの意義とか大切さについては全く無視に近い部分があった。

昔お世話になっていた成育医療センターのN野先生も、自分が高校に入学したとき、部活動はどちらかと言えばより身体感覚を養えるものを選ぶのが好ましいという趣旨のことを言っていた。当時の自分は小生意気で今以上に馬鹿だったから、基本的に人の話は右から左に聞き流していて、そんな頑張るとか汗をかくとか、運動とか、そんな面倒なものは当然端から嫌で、先生の忠告後も勿論断固拒否していたわけだけど、でも今なら、N野先生の意味していたところの少しくらいは、理解できる気がする。

当たり前のことだけれど、身体と精神は連動している。

筋肉体操のお兄さんの一人が言っていたけれど(庭師の人)、筋トレをするということは彼にとって精神を鍛えることに等しいらしい。それからどこで耳にしたか覚えていないものの、脳を鍛える(認知機能の向上)には体を鍛える必要がある、みたいな科学的な裏付けのある話もあった(わりと有名だと思うけど)。あと、今日聴いたKagushun先生のVoicyでも、心をリラックスさせるためにはフィジカルな面からのアプローチが効く、みたいな説明が。具体的に言えば、笑顔をつくることで、脳が「この顔になっているということは今楽しい/幸せなはずだ」と錯覚(Kagushun先生曰く「脳を欺す」)し、結果として実際にポジティブな感情が生まれる、というようなこと。

昔から甲斐性のない性格だと自覚していて、もっと精神鍛錬をしなくちゃ、こんなふにゃふにゃとしたままでは何にもならない、と思っていた。ここで必要なのは、精神を鍛練しようという方向の努力より、体を鍛えようという方向の努力なんじゃないかな。それが結果として、精神の鍛練にもなる、と。

でも、それじゃあ週二日の筋トレと二日の運動を自分に課したら万事解決かと言えば、そんなことはない。なぜなら、そんなの、継続できるはずがないから。それができるならそもそも自分の甲斐性のなさで悩んでいたりしない。

内発的動機付けに頼ることには限界がある。いつまでも「いつかできるようになるかもしれない自分」の幻想にすがり、ただ過ぎていく時間を指を咥えてみているだけでは、時間はおろかその他にも沢山の貴重なものを失ってしまう。そんなことに気がつくのが本当に遅かった自分。

だから、外発的動機付けが必要になってくる。意志力(will power)を行使し、伸ばそうとすることより、いかにそれを使わず自分を物事にコミットさせるか、工夫をほどこす、という方向でやっていきたい。そのためには、動機付けを外注するのも一つの手。
動機付けを外注するということは、そこに他者の関与が生まれる。筋トレなり運動なり、誰か仲間と一緒にする、ということができればそれも良いけど、あいにく今そんな環境は望めないので、お金を払ってサービスを利用する必要がある。

そんなわけで、オンライントレーナーを探し始めるに至った。ネットで情報漁りをした結果程よい価格設定・サービスのバングラデシュ人トレーナーを見つけた。

すぐ色々なことにお金を使うのは良くない(とくに親の扶養の身分で)と分かっているけれど、やっぱり今からでも初心に帰って身体という人間の基本の両輪のうちのひとつ(もうひとつー連動するーは精神)を強化することは、自分の人生にとって優先度が高く重要なことだから、これは必要な出費と思う。そんな贅沢にトレーナーなんかつけないで自分でやれ、と言われるかもしれない。でも、それは「できない」わけだ(繰り返すようだけど、そもそもできるなら…)。できないものをできようとしてただ過ぎていく時間を見送るのは人生の浪費。人生の浪費より多少の出費の方がマシなのである。

せめてオンライントレーニングの月謝(4000円くらい)は自分のバイト代だから出すことにする。リゾバ頑張ってくるわね。