フィンチのお気持ち表明板

ブログと日記の狭間

6月30日

無事進級が決まった。

10月から3年生になる。入学した時には、M3なんて大先輩、自分にとっては遠い将来の話だと思ってた。でも、実際にこの地点まで到達するのは、本当になんと言うか、あっという間だった。この調子だと、卒業までの時間というのも、微々たるものな気がする。

今のところ(と言ってもまだ2年間だけど)、ストレートで進級している。留年しなくて済んでいるのは喜ばしいと同時に、それは、日本国試、そして就職という二大難関に立ち向かわなければならない時が、また着実に一歩近づいたということでもある。

それでも、今のストレート進級の状態だって、世間一般に比べたらだいぶ長くモラトリアムを過ごしていることになる。今のこんな自分の生き方について100%胸を張れるかと訊かれたら、素直に頷ける訳ではないけれど、でも、かと言って今の自分はまだ社会に放り出されてやっていけるほどパリっともしていない。就活すら、まともにこなせないと思う。そう考えると、自分がまだ学生の身分に甘えていられるのは、有難いことだ。自分のペースで生きることを許されているのは、自分の引いたカードの中でも良かった方のうちの一つ。

「自分のペース」が世間一般の多数派の人々のペースとずれているということは、つまり、自分が少数派の弱者の側に属しているということでもある。弱者、というのは、自分の生まれ持った性質と成育歴の二つを掛け合わせた結果としての現状が、今ひとつ、世間一般で言うところの「こうあるべき」的理想像と重ならないということ。一言で言えば、パリっとしていないわけ。このへんは、手持ちのカードでなんとか辻褄を合わせるに至らなかったのね。

でも、まぁ、それはそれ。

自分のケースでは、あと4、5年でパリっとしなくちゃならない。ふにゃふにゃのままだと、社会に出てもきっと辛くなっちゃうからね。

それにしても、4,5年でなんとかなるかなぁ。4,5年前の自分と今を比較しての成長の具合から考えてみると、非常にビミョイ。成長してないことはないんだけど。でも、4,5年後に自分が求められるであろうレベルでパリっとするためには、過去4,5年の成長ぶりを超える速度で、これから精進していかなくちゃならないだろうと思う。

じゃあ、EXILEで「アゲ」れば幸せになれるのか

ここのところ試験や課題提出期日のラッシュで、文字通り死んだ魚のような目で日々を過ごしている。とりあえず、ずっと気掛かりだった発生学(去年から持ち越しで再履修した)を、一年越しにようやく倒すことができたのは良かった。60%の合格ラインぴったりの点数‐50点満点中30点‐だったけど。

今みたいに学校が忙しくて大変な時期、よく転学という選択肢が頭をよぎる。医学部も留学も、あと4年も続けられるだろうか。できたとして、それが貴重な20代の過ごし方として、自分にとって後々悔いが残らないと言えるものなのだろうか。

すくった両手の指の隙間から零れ落ちてゆくように、時間は過ぎてゆく。30代が訪れる頃に思うことなんて、どうせ決まってる。「20代は、あっという間だった」

時間だけは早足で過ぎてゆくのに、自分の生き方の形というものはまだ依然としてふにゃふにゃとしたままで、一向に定まらない。どうすれば、これからの人生、そこそこ楽しく、幸せに生きてゆけるだろう。

最近、ひとつ思い始めたことがある。医学部留学を完遂するかどうかは別問題としても、将来的に、今滞在している千葉のこの家(※)に住むというのは、自分にとって意外と十分あり得る未来だなぁ、ということだ。

※今は母所有になっている旧祖父母宅

――――――――――――――

千葉県と言えば、マイルドヤンキーの聖地として名高い柏市のお膝元でもある。マイルドヤンキーと言えば、地元に残りなんだかんだ幸せそうに生きている人たち、という固定観念が頭に浮かぶ。

この家がある千葉県某市は、幼少期からなじみ深く、自分にとって第二の地元と言って差し支えない場所だ。それなら、自分も、千葉県産マイルドヤンキーとしてこの地でなんだかんだ幸せに生きていくという道を模索できるのではないか?

そんなわけで、今回は、自分のマイルドヤンキーとしての可能性を、探っていくことにするわね。

まず、「マイルドヤンキー」という言葉の定義から確認しよう。以下の6つは、マイルドヤンキーの定義に当てはまると言われる人々に見られがちな特徴だ。いくつかのネット記事を参考に、自分なりにまとめてみた。

1. 地元の人間関係、家族・友達との絆を大切にする
2. 半径5km以内の地元生活圏に満足する
  とにかくイオン!
3. 所得や学歴が低い
4. 消費意欲が高い
  実家等にパラサイトしているため、自分の稼ぎに比べて自由に使えるお金が他の人より多い
5. 情報化・グローバル化とは縁遠い
6. ヤンキー的文化への憧れ
  女性なら浜崎あゆみ、男性ならEXILE

じゃあ、次に、これらの特徴に、自分がどれくらい当てはまっているか、一つひとつ見ていく。

1 → ×
千葉県某市は、なじみ深いとはいえ、この地に「地元の人間関係」的なものはない。
2 → ○
イオンは週5で通えるわよね。
3 → △
低所得は夢じゃない!!けど、大卒にはなりそうなので一般的には低学歴ではない。
4 → ◎
パラサイト+一人暮らしという究極形。
5 → ×
zoomで海外大のオンライン授業を受けているという現実。

と、まぁここまでで、0+1+0.5+1.5+0=3点を獲得。これは、6点満点中だと得点率50%ということになる。60%を合格ラインとすると、明暗を分けるのは、ずばり、次の項目。

6. ヤンキー的文化への憧れ
  女性なら浜崎あゆみ、男性ならEXILE

参考にしたネット記事の一つには、以下のような説明が。

マイルドヤンキーの口癖は「アゲる」。(中略)EXILEのライブは、最高に「アガる」瞬間なのだという。
「給料にはちょっと不満もあるけど、全体的には幸せ」と話す。残業はほどほど、カネよりも家族と友達が大事。気合いとアゲアゲのノリがありゃ「何とかなるべ」と、気楽に前向きに生きる—それがマイルドヤンキーの流儀だ。

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/38787?page=2

うーん。正直、浜崎あゆみEXILEも、あんま聴かない。と、思いつつ適当にユーチューブで曲を漁ってみた。知っているものを発見。Rising Sun。

www.youtube.com

(ステージ上の人たちのどこからどこまでがEXILEなのか分かんないよ‥)
改めて見てみると、思ってたよりスタイリッシュでかっこいいじゃんね。このライブ会場にいたら、なんだかんだ「アガる」かもしれないという感想さえ頭に浮かんだ。

6 → ○ !!!

‥そう。それは、迷える自分の人生に差した一筋の光、マイルドヤンキーとしての生き方が拓けた瞬間なのであった。

 

参考記事

gendai.ismedia.jp

www.excite.co.jp

p-shirokuma.hatenadiary.com

 

5月3日あたり

数日前の夜のこと。たまにはガッコのアドレスの方の受信ボックスもチェックしておくか、と思ってOutlookを開いたら、わりあいまだ新鮮な状態(ジブン定義では受信から1,2日)のメールが一通。間が良いとは、このことだな。マグダレナからだった。

マグダレナというのは、WUMingプログラム(笑)‐今年からWUMで始まった、生徒の研究活動参加を促進するプログラム‐の自分の担当教授で、おれが1,2か月くらい前に送ったメールに丸無視を決め込んでいた女だ。

お、やっと返事が来たぞ。でも今更なんやねん。と思いつつ内容を確認してみると、それは他でもない、赤紙、研究助手としての駆り出しのお知らせであった。

あれ、話が違くないか‥?

もともとプログラム出願時の動機書には、夏休みの自由研究あるいは卒論的な、自分の自分による自分のためのジコ満オリジナル研究ごっこをしたいとの旨を綴った。それがアクセプトされ今おれはこうしてWUMingプログラム(笑)の参加者になっている、というような流れも、あったことにはあった気がするのだが‥(遠い目)

ぽまえの訳わからん研究ごっこはどうでもいいから、WUMの研究を手伝え、と。まぁ、そうなるよな。人生そう簡単には、うまくいかないよな。それでも研究助手をさせてもらえるのだって、またとない機会だ。

そんなわけで有難く話を引き受け、おれはこんなぺーぺーではあるが、WUMの研究チームの下っ端をさせてもらえることになった。やっぱ、中二病だからさ、そのへんの教育機関にアンケート調査の協力依頼メールを送るときなんか、自分の名前の下にresearch assistantって書くの、一つ大人の階段上った気がして、ルンルンだわよね。

降ってきたチャンスはものにしつつ、しぶとい生命力で、ガサガサやっていきたいわね。

4月27日あたり

旧おばあちゃんちから最寄りの勉強長居スポットであるサイゼリアに向かう道中、すれ違った人々(と言っても、両手の指で数えて収まる程度だったが)は、ほぼ全員、マスクを着けていた。時刻午後1時過ぎにして寝起き、空きっ腹を鳴らし、明らかにブドウ糖不足の、生気のない顔・感じの悪い目つきで坂道を上りながら、なんとなく非難まじりの視線を向けられているような気になる。いつもの被害妄想、か。いや、今回ばかりは、妄想じゃないかも。マスクなしは人権なし。付け忘れてきたというよりかは、なんだかもう正直、どうでもよかった。どうせ一人暮らしだし。コロナとかもういい加減、飽きがくるわよね。

店に入ると、見つからないうちに一番隅の方の席へそそくさと早足で向かうのが常だが、今日は運悪く労働意欲の高い店員に捕捉され、至極にこやかに店内中央あたりの席へと連行された。テーブルの上には、ランチメニューが。スープとサラダもついて、アラビアータが500円。お得感に釣られて頼んでみたけれど、値段相応、スープもサラダも、完全に申し訳程度というか、あってないようなものだった。完食ののち、ドリンクバーのコーヒーを片手に席に戻り、持ち込みのチョコレートの包みを開け、ノートPCを開いた。

諸々の事務的作業と2時間くらいの勉強をしたあと、帰路につく。店を出ると小雨がぱらついていて、少し肌寒かった。寂れた商店街の一角を占める小さなスーパーへ寄って、つゆの素とピーマン、それから豚こまを買った。

このところ毎晩、予備科時代の友人Jと、オンライン勉強会をしている。彼女は韓国人で、WUMの予備科を終えた後ナポリの大学で医学生になった。それが最近、どうもその学校のシステムに嫌気がさしてきたらしく、今年WUMの入試を受けなおす予定だと、そんな連絡をよこしてきたのが、たぶん1か月くらい前のこと。

もともと文系だった・当時精神状態がアレだった等、種々の言い訳を取り揃えてはいるが、それにしても自分が結局自国の医学部受験競争から逃げて東欧の地へ辿り着いたことは、事実として認めざるを得ない。その点で同じ境遇のJとは、色々分かり合える仲なのである。やっぱり隣国同士ということで、医学部受験事情は、日本も韓国も似た部分があるようだし。傷をなめ合う、というやつなのか。

それにしても、彼女、たしか一つ年上だったけど、正直自分以上にだらだらよく分からん人生を歩んでいる感があるものだから、思わず親愛の情が溢れ出て満面の笑みとなってしまうわよね‥。

一人暮らしは概ね楽しんでいるけれど、ひとつネックなことと言えば、夜、家に自分だけなのがちょっと心細いこと。うっかり怖いものをみてしまった後なんかには、とくに。週末、Discordの画面共有でパラサイト鑑賞会をしたけれど、ホラー要素あるなんて思ってなくて、すっかり油断していたものだから、まぁまぁ食らっちゃった。

‥そろそろ眠くなってきたから、今日のところの日記はこれでおしまい。

4月12日

夜。雨音が壁に染みて、室内まで漏れ伝わるようです。畳の部屋が、雨の音で浸水しているみたい。とても静かで、満たされた気持ちになる。日記でも書きたくなる感じ。屋内でこんなふうに雨が聞こえてくることって、ワルシャワではない気がする。やっぱり日本の家は比較的、壁が薄いのかな。日本の家全般というより、この古い家の問題かもしれないけど。

この家。家族の会話ではいつも単に「千葉」と呼称されるこの家は、まぁ千葉にあって、最近までここで、母方の祖父母が細々と生活を営んでいた。今は母の所有になっているらしい。小さな頃は、毎年夏休みに、従兄弟たちとこの家に集まって遊んだりした。私は中高生になっても何かと祖父母に甘えに来ていたから、孫たちのなかでは一番多く、ここに思い出がある。

10日ほど前、留学先のワルシャワからポーランド政府のチャーター便に乗って帰国した。成田空港では、迎えに来た母から、スーツケースを拭くようにとアルコール除菌シートを手渡され、さらに両手の消毒と物々しいN95マスクの着用を指示されたあと、叔母の車に乗り込んだ。バイ菌!とかっていじめられてる小学生みたいだった。3,40分ほどで家に着き、早々に去っていった二人を見送り、そして、2週間の隔離生活が始まった。

そう、時代はコロナ。

今日はイースターの日だったけれど、Twitterでそのことについてつぶやいてる人を、ほとんど見かけなかった。去年と一昨年は、少しくらいは話題に上っていたから、ハロウィンとクリスマスに次いで、ついにイースターも、舶来行事として日本に定着しつつあるのかな、なんて思ったのに。今年はみんなコロナで、それどころじゃないのね。

代わりにTLで今日持ち切りだった話題と言えば、安倍首相の犬。あの動画、なんだか挙動のいちいちがジジくさいなぁと思って、笑っちゃった。ネットの記事に、若者の間で話題の事がオジサンに伝わるまでのタイムラグが1週間、みたいなことが書いてあったけど、星野源が曲をアップしたのもちょうど1週間程前とのことだったから、二度笑ったよね。

でも、このコロナ自粛、私もどちらかと言えば、何の心配もなく寛ぎながら過ごしている方だ。世の中には、生活に対する逼迫した不安を今この時も抱えているような人だって、少なからずいるのに。首相が大炎上しているのを傍目に見ていて、なんとなくだけど、決まりの悪さを覚えた。

比較的に裕福な家庭で育ったけれど、それでも自分が、そうでない人たちより特別恵まれているとは、ほとんど思ったことがない。経済的な要素って、決して小さくはないけれど、でも、全てじゃない。私はその他の幾つかの面で、他人より大変な思いをしてきたと自認している。みんな、他の人より多く持っているものと少なく持っているものと、両方あって、総合したらだいたい、とんとんなんだ(例外はある)。って、私はいまだにそんな信条を持っている節があるけれど、もしかしたらこんなのは、あまりにナイーヴなのかもね。

ま、とどのつまり、私はその他諸々のことで散々黒歴史を量産し辛酸をなめてきたという免罪符があるので、少しくらい、自分のプチ優雅なコロナ自粛生活のことについてこの半ブログ半日記に書いても、バチは当たらないだろう。でも、ここまでの前置きで、やたらに長くなってしまったから、今日はここまで。